<タイ>30年ぶりのバンコク!変貌ぶりを確認しながら【シーロム通り】界隈を歩いてみた

🇹🇭タイ/バンコク 2019年12月27日~30日

私はかつてバンコクに2年ほど住んでいたことがあります。

1986年から88年にかけて、テレビ局の特派員として家族とともに赴任していたのですが、その頃暮らしたマンションは街の中心部シーロム通りの近くでした。

およそ30年ぶりに昔住んだエリアを歩き、変わった所、変わらない所を懐かしい思い出とともに確認してみました。

スワンナプーム国際空港からバンコク中心部へは電車を乗り継いで

成田発のタイ航空機は、7時間30分でバンコク上空に・・・。

縦横に走る運河とオレンジ色の屋根瓦が見えると、バンコクに来たという実感が湧いてきます。

降り立ったのは、「スワンナプーム国際空港」。

私たちにとってバンコクの空港といえば「ドンムアン空港」ですが、今では2006年に開業したスワンナプーム空港がバンコクの表玄関となっているのです。

空港の到着ロビーも、当然のことながら30年前のドンムアン空港とはまるで別世界です。

年末に訪れたこともあり、空港にはクリスマスツリーが飾ってあり、人であふれかえっていました。

空港から市内へは、「エアポート・レイル・リンク(ARL/空港連絡鉄道)」という電車で移動します。

30年前には、駐在員はみんなドライバーを雇わなければならないとされていて、前任者から引き継いだドライバーさんに空港までの送り迎えをしてもらいました。

まだ生活水準が低かったタイで働く以上、現地に雇用を作るのが日本人の義務だと教えらたものです。

まずは自動販売機で切符を買います。

空港駅からマッカサン駅まで行き、そこで「MRTブルーライン」という地下鉄に乗り換えて「シーロム駅」を目指します。

ARLは2010年に開業したそうで、乗り方はごく普通、購入した切符(クートン)を機械にタッチして改札を通ります。

車両は中国っぽいかなと思いましたが、ドイツのシーメンス社製だそうです。

すぐに地上に出るので景色を見ることはできますが、まあとにかく窓ガラスが汚い・・・。

それでも並行して走る高速道路が渋滞しているので、鉄道を選んで正解です。

空港駅を出て25分ほどで、マッカサン駅に到着します。

バンコクの交通網も順次新しい路線が開業しているようなので、古いガイドブックを持っていると違っているかもしれません。

最新情報をチェックしましょう。

マッカサン駅から地下鉄ブルーラインのペッチャブリー駅に乗り換えるのですが、動線はお世辞にもいいとはいえません。

そして地下鉄の切符を改めて購入します。

地下鉄は結構、混んでいました。

立ったまま15分ほど地下鉄に揺られると、目的地のシーロム駅に到着です。

思い出のバンコク① 名門「デュシタニ・ホテル」は現在改装工事中

話には聞いていましたが、シーロム駅界隈は昔とはまったく変わっていました。

地下鉄の駅を出ると、シーロム通りの上を「BTSスカイトレイン」の高架が走っています。

シーロム通りとラマ4世通りの交差点と言えば、バンコクを代表する5つ星ホテル「デュシタニ・ホテル」がランドマークでしたが、入り口の看板はそのままあるものの工事のフェンスに覆われていました。

我が家のアルバムに残っていたデュシタニ・ホテルの写真です。

1970年創業の老舗ホテル、三角柱の建物で、てっぺんに角のような突起が立っているとても特徴的な建物でした。

当時私たちが住んでいたマンションの窓からデュシタニをいつも見ていたので、私たちには思い入れの深いホテルなのです。

ラマ4世通りの方に回ってみると、懐かしい建物がまだ残っていました。

しかし調べてみると、ディシタニ・ホテル、いや今では「デュシタニ・バンコク」と呼ばれる最高級ホテルは、リニューアル工事のため2019年に営業を中止したと言います。

周辺の土地も合わせて、ホテル、住居、オフィス、商業エリア、緑地から成る複合施設として再開発する計画だそうで、完成は2023年の予定です。

参考:Dusit Thani Bangkok 公式サイト

実は、ルンピニー公園の向かい側、ラマ4世通り沿いには私が勤務したオフィスもあったのですが、そのビルは跡形もなく消え去っていました。

こちらの高層ビルに生まれ変わったのか? それともデュシタニの再開発の一部になるのか?

今となっては、正確な位置も定かでありません。

30年も経てばいろんなものが変わってしまうのは当たり前ですが、それでも思い出の場所がなくなるのは寂しいものです。

思い出のバンコク② デュシタニのカフェが営業中【BAAN DUSIT THANI】

滞在中、うれしい事実を知りました。

リニューアル工事のため営業を休止している「デュシタニ・バンコク」の飲食部門が一部場所を移して営業していることを知ったのです。

「BAAN DUSIT THANI」。

私たちが宿泊した宿「」のすぐ近く、サラデーン通り沿いにある邸宅を利用してその店は作られていました。

タイ国政府観光庁日本事務所が運営するサイト「amazing THAILAND」には、次のように紹介されています。

「バーン デュシタニ」は、ルンピニ公園の向かいに4年後オープンする予定のデュシットセントラルパークの一部としてランドマークの多目的プロジェクトの再開発が行われている間、デュシットインターナショナルの旗艦ホテル、デュシタニバンコクの特徴的なホスピタリティの遺産が人々の楽しい思い出を呼び覚まし、継続させるために設計されたユニークな稀に見る場所です。

出典:amazing THAILAND

つまり、デュシタニ・バンコクのリニューアル工事が行われている間、ここでディシタニの味やサービスを体験することができるということです。

ここでは、デュシタニ・バンコクが誇るレストランのうち、タイ料理の「ベンジャロン」、ベトナム料理の「ティンドゥオドン」、そして喫茶の「デュシットグルメ」の3店が営業しています。

私たちは、滞在最終日のお昼に、一番カジュアルな「デュシットグルメ」に行ってみました。

入り口にはクリスマスツリーが飾られ、白い小さな建物に、緑の植栽がセンス良く配されています。

そこは確かに、とても気持ちのいい空間でした。

タイらしい木材をふんだんに使ったインテリア。

白い壁と窓の外の緑のコントラスト。

窓際のアンティークな家具に腰を下ろして、メニューをめくります。

バンコクの強い日差しが嘘のように、店内には柔らかな光が差し込んでいました。

店内に並んでいたケーキが気になって、見に行きます。

朝ごはんをしっかり食べた後なので、昼はケーキとエスプレッソで軽く済ませることにしました。

妻が選んだのは、梨のタルト「Pear Ginger Tart」。

ケーキは一律120バーツ(約430円)と、高級ホテルにしてはリーズナブルでしょう。

一方私が選んだのは、ちょっと子供っぽいピーナッツバターのケーキ「Baked Peanut Butter Cheese Cake」。

季節柄、ケーキの上にサンタが乗っかっていました。

このケーキにエスプレッソ(80バーツ)を合わせて、ランチは終了。

タイ料理続きだったお腹が喜ぶ、気持ちのいいカフェのひと時でした。

思い出のバンコク③ 古いアルバムに残る「500年に一度の大雨」の記憶

我が家のアルバムに30年前のバンコクの面白い写真が残っています。

バンコク市内が広い範囲で浸水した1986年の写真です。

上の写真は、私たちが暮らしていたマンションから撮影したもの。

通りはすべて水没し、時折自動車が水をかき分けて走っていました。

デュシタニ・ホテルの前を走るラマ4世通りもご覧の通り。

この時のバンコクは500年に一度の大雨だと大騒ぎだったので、私たちも船を借りて市内を取材、日本向けにニュースを発信したのを覚えています。

それでもバンコクの人たちはあっけらかんとしていて、気にする様子もありませんでした。

店もいつも通り営業していて、何事もきちんとしたがる日本人から見るとそれが妙に面白く、タイの奥深さに少し触れた感じがしました。

その時、私たちのマンションの目の前もご覧の通り。

でも改めて写真を見直すと、この頃は低層の住宅や店舗が通り沿いに並んでいたのがわかります。

しかし同じ通りが、今ではこんな感じに変わっていました。

私たちが住んでいたマンションの目の前には、5つ星ホテルが建っています。

通り沿いには他にも高級コンドミニアムやホテルの高層ビルがいくつも建ち並び、さながら高級住宅地です。

今回の旅行では、30年前に住んでいたマンションがホテルに変わっていることを知って、あえてそこに宿泊したのですが、窓から見える現在の景色はこんな感じ・・・。

一方、同じ方向を撮影した30年前の写真はこんな感じでした。

かなり様変わりしたことがわかります。

思い出のバンコク④ 我が青春の「タニヤ&パッポン」がすっかり変わっていた

1980年代のバンコクでは、日本からのお客さんが来ると必ず案内したのが、夜のタニヤ通りとパッポン通りでした。

言わずと知れたバンコクを代表する夜の歓楽街。

シーロム通りとスリウォン通りの間をつなぐ2本の小さな路地には、夜な夜な多くの客で賑わっていました。

果たして、あのタニヤとパッポンは今どうなっているのか?

興味があった私は妻をホテルに残して、一人であたりをぐるりと回ってみました。

まずはタニヤ通りから。

タニヤは日本人相手のクラブがひしめき合う通りでしたが、その雰囲気は基本的には今も変わっていないようです。

ただ、お客さんが少ないのか、店の前にたくさんの女の子が出て、外で座って待つというスタイルに変わったようでした。

1980年代、日本人駐在員たちはタイ語の勉強と称して毎晩のようにタニヤに繰り出したものです。馴染みの女の子とタイ語でおしゃべりするだけでなく、記者仲間や他業種の駐在員とも親しくなり情報交換する大切な社交場でもありました。

その当時からあった老舗の「クラブ愛」の看板を見つけ、ちょっと昔を思い出して懐かしい気持ちになりました。

当時まだ20代だった私は、おじさんたちが通い詰めるタニヤのクラブがどうも好きになれず、平行するパッポン通りによくお客さんを案内しました。

パッポン通りは、ベトナム戦争の頃に米兵相手のゴーゴーバーが集まる独特の歓楽街として賑わい、私がいた当時は客の大半が欧米からの観光客でした。

ぼったくりバーも多く、安心して入れる店を知っていることで駐在員として一目置かれたものです。

ところが30年ぶりに訪れたパッポン通りは、すっかり様変わりしていました。

ゴーゴーバーもまだ少しは残っていましたが、客の姿はまばらで、様々な商品を売るナイトマーケットが狭いパッポン通りを埋め尽くしていました。

正直、どこがパッポン通りだったか見極めるのに苦労するほど、昔の面影はほとんど消え、むしろパッポン周辺で「ゴーゴーボーイ」と呼ばれるゲイが集まる店がすごく増えているようです。

正直、バンコクに電車が走ったとか、高層ビルが増えたということは聞いていたのでさほど驚かなかったのですが、パッポン通りが衰退してゲイの天国になっていたのにはかなり驚きました。

30年ぶりのバンコクは、変わっていてもやはり懐かしかった

30年ぶりに訪れたバンコク。

知っている飲食店もよく利用してスーパーもいろんなものが無くなっていましたが、それも時代の流れ。

新しいバンコクにキャッチアップするため、今後も時々訪れてみたいなあと感じました。

でも、嬉しいことに、30年前に家族で暮らしたマンションがホテルに改装されて今もその姿をとどめていました。

まだ幼かった息子たちを育てた懐かしい場所は、私以上に妻にはとても感慨深かったようです。

バンコク中心部にあるその宿「バンダラ・スイート・シーロム」は、キッチン付きでとても広く、普通のホテルとは一味違った快適さを提供してくれます。

ご興味があれば、こちらの記事もご覧ください。

<タイ>30年前に暮らしたマンションがホテルに変身!130平米の贅沢「バンダラ・スイート・シーロム」に泊まる

「旅したい.com」より

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