<福井>2022年に北陸新幹線が伸びる町・敦賀 「地魚料理まるさん屋」で絶品の刺身とへしこ茶漬けを食う

🇯🇵福井/敦賀市 2019年11月2日

11月の連休を利用して、1泊2日の国内旅行に出かけました。

目的地はまだ行ったことのなかった若狭湾エリア。米原から「特急しらさぎ」に乗りかえて、東の玄関口である敦賀に入りました。

福井県敦賀市は、人口6万5000人足らずの地方都市ですが、古くから大陸と日本をつなぐ交易の拠点でした。奈良・平安時代には渤海使や日宋貿易の窓口となり、明治から戦前まではウラジオ航路を利用した欧亜国際連絡列車の拠点となりました。

そんな敦賀を巡り、とびっきり美味しいランチをいただきました。

敦賀駅と都怒我阿羅斯等

米原駅から10時56分発の「特急しらさぎ5号」に乗って28分。JR敦賀駅に到着しました。

車窓から琵琶湖が見えると期待したのですが、ほとんど見えません。

敦賀駅に降り立ってまず印象的だったのは、駅舎や周辺がきれいに整備されていたことです。

この時はまったく気づきませんでしたが、2022年に北陸新幹線がここ敦賀まで延伸することが決まっていて工事が進んでいたのです。

開業すれば、富山まで1時間1分、東京からは3時間21分で結ばれます。敦賀から新大阪までのルートもようやく決まり、将来的には京都や大阪ともぐっと近くなる予定です。

そんな敦賀駅前には、埴輪のような銅像が立っていました。

「都怒我阿羅斯等像」と書かれています。

一体、誰?

調べてみると、「都怒我阿羅斯等」は日本書紀に登場する人物だとわかりました。

日本書紀には、『垂仁天皇の時〈意富加羅国〉の王子〈都怒我阿羅斯等〉が〈笥飯(けひ)浦〉に来着したが、王子の額に角があったので,この地を角鹿(つぬが)と称した』というようなことが書かれているそうです。

「都怒我阿羅斯等」がやってきたのは当時朝鮮半島にあった任那(みまな)国とされ、「角鹿(つぬが)」が転じて敦賀の名前の由来となったとも言われています。

遠い昔、日本海に面した敦賀には多くの渡来人がやってきた証なのでしょう。

氣比神宮

この敦賀の観光地といえば、「氣比(けひ)神宮」。

駅から徒歩で15分ほどの距離です。

『 氣比神宮(けひじんぐう)は 福井県敦賀市に鎮座する 北陸道総鎮守 越前國一之宮です。地元では親しみをこめて「けいさん」と呼ばれています。』と、公式サイトには書かれています。

境内西側に建つ大鳥居は、奈良の春日大社、広島の厳島神社と並ぶ、「日本三大鳥居」に数えられているそうです。

1645年に造営され国の重要文化財にも指定されています。2017年末に30年ぶりの修復工事を終えたばかりで、まだピカピカでした。

境内には松尾芭蕉の銅像も立っています。

「奥の細道」の道中、1689年に敦賀に立ち寄った芭蕉は、氣比神宮の境内で中秋の名月を楽しみます。

その時に詠んだ5つ句が傍の石碑に刻まれていました。

「國々の八景更に氣比の月」
「月清し遊行のもてる砂の上」
「ふるき名の角鹿や恋し秋の月」
「月いつこ鐘八沈る海の底」
「名月や北國日和定なき」

その芭蕉像が見据える方向に本殿があるのですが、私が訪れた時、本殿に通じる中鳥居の工事が行われていました。

昨年9月の台風21号によって大きな被害を受けたということで募金の受付も行われていました。

景観的にはちょっと残念でしたが、鳥居がどのようにして作られているのか、滅多に見る機会はないので、そういう意味では興味深い時に遭遇したとも言えます。

細い木材を組み合わせて丸い柱を作っているんですね・・・。

こちらが氣比神宮の本殿。

第二次大戦の敦賀空襲で全焼したため、戦後に再建されたものです。

祀られているのは、氣比大神のほか、仲哀天皇・神功皇后。

本殿を取り囲む四社の宮には、日本武尊・応神天皇・玉姫命・武内宿禰命が合祀されているそうで、古くから天皇家と強い関係があったことがわかります。

中でも、仲哀天皇と神功皇后との関係が強く、神功皇后が三韓征伐出兵にあたり氣比神に参拝したという話も伝わっています。

ちなみに、神功皇后の三韓征伐は戦前は教科書にも載っていた有名な話ですが、今ではあまり知られていないので、ウィキペディアの記述を引用しておきます。

夫の仲哀天皇の急死(200年)後、神功皇后が201年から269年まで政事を執り行なった。仲哀9年(200年)3月1日に神功皇后は齋宮(いはひのみや)に入って自ら神主となり、まずは熊襲を討伐した。その後に住吉大神の神託で再び新羅征討の託宣が出たため、対馬の和珥津(わにつ)を出航した。お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという。

ウィキペディアより

本殿の前には、天皇即位を祝う記帳所も設けられていました。

せっかくなので、私たち夫婦も記帳させていただきました。

気比の松原

古代から中世にかけて氣比神宮は広大な領地を所有していました。

敦賀湾に続く「気比の松原」もかつては氣比神宮の社領でした。

しかし浅井長政を攻めた織田信長は、氣比神宮を焼き、この松原も没収しました。

静岡県の「三保の松原」、佐賀県の「虹の松原」とともに「日本三大松原」とも呼ばれています。

1.5キロに及ぶ海岸線に1万7000本の松が・・・。

半島によって外海から守られた穏やかな敦賀湾。

広々とした砂浜と松原が延々と続く光景は、私たちが暮らす島国日本の原風景のようにも思えます。

大昔の人たちも船でこの浜に降り立ち、今と同じような景色を見ていたのでしょう。

首都圏で暮らす人間からすると、これだけ豊かな自然なのに人の姿が驚くほど少ないのに驚いてしまいます。

若狭湾エリアは、もっと多くの人が訪れるべき素敵な場所だと思いました。

敦賀原子力発電所

気比の松原から先へ進むと、敦賀半島です。

レンタカーで海沿いの道路を北へ向かうと、文字通りの絶景ロード。

しかし、交通量は驚くほど少なく、快適なドライブが楽しめます。

風光明媚な海岸線にはたくさんの旅館や民宿があり、釣りを楽しむ人たちの姿はあるものの人影はまばらです。

30分ほど走ると、沖合に細長い島が見えてきました。

「ひみつの浜辺」とも呼ばれる無人島「水島」。

透明度の高い水質と白砂のビーチ。夏場には渡し舟に乗って島に渡ることができるそうです。

水島を横目に見ながら車を進めると、のどかに釣りを楽しむ人がいました。

澄み切った美しい水。そして、真っ青な空。

心が洗われるような景色です。

でも反対の方向にカメラを向けると、そこにあったのは原発でした。

「日本原子力発電 敦賀原子力発電所」

東海原発に続く、日本で2番目の原子力発電所として敦賀半島の先端に建設されました。

原発近くには、原発をPRするために建てられた「敦賀原子力館」があります。

原発のことを一般の人にもわかりやすく伝える展示がされていますが、福島の事故の後ではどうも説得力を持ちません。

でも、敦賀原発建設時の古い映像には興味をそそられました。

原発が作られる前の敦賀半島は、道路もなく集落へは船しか交通手段がありませんでした。

原発建設は、地元の悲願だったのです。

経済成長から取り残された若狭湾エリアに原発が集中した理由がよく理解できる映像でした。

今回の旅の目的でもある「原発銀座」巡りについては、また別の記事でまとめようと思います。

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