<ルクセンブルク>「バルジの戦い」の戦死者たちが眠る、あまりに美しい「アメリカ軍墓地」に行ってみた

🇱🇺ルクセンブルク 2019年8月11日

観光サイト「トリップアドバイザー」でルクセンブルクの観光スポットを探してみると、意外な場所がオススメ1位となっていました。

Luxembourg American Cemetery Memorial

アメリカ軍墓地です。緑の芝生に真っ白い十字架がどこまでも並ぶ写真に惹かれ、路線バスに乗って訪ねてみることにしました。

そこは有名な「バルジの戦い」で命を落としたアメリカ兵たちが眠る場所。75年前のルクセンブルクは、アメリカとドイツが戦った激戦地だったのです。

15番のバスに乗って・・・

その墓地のことを知ったのは、ルクセンブルクの宿でスマホをいじっていた時です。

たまたま「トリップアドバイザー」を見ていると、白い十字架が並ぶ墓地が目に止まりました。第二次大戦中ナチスドイツに占領されたルクセンブルク。この国での戦争にも興味があったので、公式サイトを開いてみました。

英語でしたが、写真がとても美しく、すごく立派な公式サイトです。

その中に現場へのアクセス方法が書かれていました。

Travel via Public Transportation:

The nearest city bus stop (Bus #15) is the the second stop past the Hamm church, approximately a one mile walk from the cemetery; the path is well marked with signs. 

Luxembourg American Cemetery公式サイトより

公共交通機関で行く場合は、「15番のバスに乗り、Hamm教会を過ぎて2番目が最寄りのバス停。そこから1マイルほど歩く。道にはわかりやすい標識がある」と書いてあります。

面白そうだから行ってみよう。

そんな軽いノリで、何の情報もないまま、妻を誘って15番のバスに乗ることにしました。

旧市街から中央駅に向かう途中、「Centre, Paris/Zitha」というバス停で15番のバスに乗ります。バスは中央駅の裏手を通って東へ進み・・・

Hammという地区を通ります。確かに教会が見えます。

この教会を過ぎて2つ目の停留所。それだけの手がかりを頼りにバスをおりました。

そこは何もない、畑の中の停留所でした。

停留所の名前は、「KASCHTEWEE」といいます。

墓地を探して・・・

降りたはいいが、さてどうしよう。少なくともバス停には何の案内もありません。

仕方なく、進行方向に少し歩いてみました。

すると、道端にありました。

アメリカ軍墓地の案内です。「この案内についていけばいいんだな」当然そう思います。ところが・・・そう簡単でもなかったのです。

案内に従って進んでいくと、「CREMATORIUM」と書かれた墓地らしき場所に着きました。

とても整然としていて、迷わず「これだ」と思いました。

中に入ると、確かに墓地のようです。

とてもきれいに整備されています。

敷地の奥には建物が見えます。

「きっとあの奥に白い十字架が並んでいるんだろう」と勝手に思い込んで歩いていくと、そこで墓地は終わっていました。

どうやらここは地元の人の火葬場だったようです。

仕方なく再び通りに戻って案内を探します。

妻が見つけてくれました。

大通りに出たところに、大きな看板が立てられていました。

これで一安心と思ったのもつかの間・・・

周囲は工事中で、その先にロータリーがあっても一切案内がなく・・・

不安な気持ちを抱えながら道なりに進んでいくと、線路沿いの人通りのない通りに出ました。

やはり何の案内もありません。

それでも道なりに進んでいくと、木々に覆われたまっすぐな砂利道に出ました。

やはり何の案内もなく、誰一人歩いていません。

楽観的な私は、きっとこの右側が墓地だろうと思ったのですが、悲観的な妻は疑念の塊となりすっかり前に進む気力を失っています。

仕方なく、私一人先に進み、様子を見てくることになりました。

私の予感が当たりました。無人の砂利道を進んだ先は一気に開けていて、立派な門が待っていたのです。

大きな駐車場も整備されていて、参拝客もたくさんいます。ここは車で来るのが常識で、バスで来る人などほとんどいないのでしょう。

バルジ大作戦

門には、「LUXEMBOURG AMERICAN CEMETERY AND MEMORIAL」の金文字。

支柱には、金の鷲が睨みを利かせています。

警備の兵士もいるので、部外者が入れるのか不安でしたが、何事もなく入ることができました。

もちろん入場料はありません。

門を入ったところに

奥に進むと、第二次大戦当時の地図が描かれた記念碑がありました。

地図には、「アルデンヌ 1944年12月16日~1945年1月25日」「ラインランド 1945年3月5日~1945年3月21日」と書かれています。

当時の戦況を少し説明しておきましょう。

ノルマンディ上陸作戦以後連合軍に追い詰められたヒトラーは、手薄だったアルデンヌ地方を狙い、戦略拠点アントワークの攻略作戦を決行しました。

これが1944年12月16日に始まった「バルジの戦い」。

私たちの世代にとっては、「バルジ大作戦」という戦争映画でおなじみの第二次大戦末期アメリカとドイツの間で戦われた有名な激戦です。

アルデンヌは、ベルギーからフランス、さらにルクセンブルクにまたがる地名で、広大な森が広がっています。

第二次大戦の初期、ナチスドイツはこのアルデンヌの森を突破し、フランスに電撃侵攻しました。

1940年5月10日、ドイツ軍はルクセンブルクにも侵攻し、その日のうちに占領します。ドイツ軍が首都に迫る中、大公家は辛くも脱出に成功し、カナダのモントリオールに逃れます。有力な閣僚たちも亡命し、ロンドンとモントリオールを拠点に亡命政府を立ち上げ、ナチスドイツへの抵抗運動を指揮しました。

当時の大公は、シャルロット女大公。彼女はBBCのラジオ放送を通じて自らレジスタンスを呼びかけました。

連合軍の反撃が始まり、1994年9月10日、ルクセンブルクは一旦アメリカ軍によって解放されましたが、「バルジの戦い」で12月には再び占領されます。

バルジの戦いでは、ルクセンブルク北部でも激しい戦闘が繰り広げられました。この戦争によって、ルクセンブルクでは人口の2%に当たる5700人が死亡、特に若年層を多く失いました。

そして、翌年3月のラインラントでの戦闘は、ライン川に唯一残った一本の橋をめぐる攻防戦でした。「レマゲン鉄橋」というタイトルで映画化もされています。

記念碑に描かれた無数の矢印は、両軍入り乱れての攻防戦の激しさを私たちに伝えてくれます。

白い十字架

多くの兵士たちが眠る墓地が見えてきました。

広大な森の中に、ぽっかりと空いた平地にきれいな芝生を敷き詰め、その上に無数の白い十字架が並んでいました。

近くまで行くと、十字架は緩やかな同心円を描いて並んでいることがわかります。

十字架はすべて大理石のようです。

映画ではよく見るこうしたアメリカ軍墓地ですが、実際に見るとその端正な美しさに驚きます。

縦、横、斜め、どの角度から見ても整然と並べられた墓標。

祖国のために異国で命を散らした兵士たちを英雄として讃える気持ちが強く表れているように感じます。

十字架の裏側には、ここに眠る兵士の名前や所属、出身地、そして戦死した日付が刻まれていました。

十字架の中に、ポツポツと星型の墓標が立っています。

ここに眠る兵士がユダヤ教徒であったことを表しているのでしょう。

同心円状に並ぶ十字架の中心には、慰霊塔が建てられています。

私は後で知ったのですが、第二次大戦の英雄パットン将軍のお墓も、この墓地にあるそうです。

戦争で命を落とした者たちを“愛国者”として手厚く葬るのは、各国共通です。

それにしても、アメリカ軍墓地には完成された美しさがあります。

何故なのでしょうか?

第二次大戦後、世界一の軍事大国として戦争を続けてきたアメリカにとって、戦争は今も続いています。

次々に生み出される新たな“愛国者”を美しく葬ることは、戦争の正当性を示す上で今でも不可欠なことなのでしょう。

そんなことを考えながら、あまりに美しい墓地を後にしました。

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