<オーストラリア>10月26日、あのエアーズロックが登頂禁止になる

エアーズロック©️ 旅したい.com

🇦🇺オーストラリア/ウルル 1988年1月

上の写真は、31年前私が撮影したものです。オーストラリアの先住民アボリジニの聖地「ウルル」。かつては「エアーズロック」と呼ばれていました。

1987年に世界遺産に登録され、オーストラリアを代表する観光地として世界中から多くの観光客を集めてきました。

私は1988年にこのエアーズロックに登りましたが、今年2019年の10月26日から観光客向けの登山が禁止されることが決まったそうです。

昔の写真と共に当時の記憶を辿り、エアーズロックについて書いておこうと思います。

10月26日から登頂禁止

ネットでたまたま見つけた記事を読んでちょっと驚きました。

「地球のへそ」とも呼ばれ「世界の中心で、愛をさけぶ」などの作品で日本人にも知られる人気観光地「ウルル」、通称エアーズロックが今年から登頂禁止となるという記事でした。

その理由について、「TRiP EDiTOR」という私が見た旅行サイトには次のように書かれていました。

古くからアボリジニたちのものだったウルルですが、イギリスの植民地となった時代に周辺の土地と一緒に取り上げられ、独立後もしばらくはオーストラリア政府所有のものとなっていました。

しかし、1983年に再びアボリジニの元に返すと言う決定が下され、同時にオーストラリアにウルル周辺の土地をリースする、そして観光資源として活用し得た収入をアボリジニに支払うと言う契約が交わされました。

私たちがいままでウルルに登頂できたのは、国の管理下にあったためです。

しかしアボリジニたちにとっては神聖な土地であるウルル、そのウルルに登ると言うのは以前から一部のアボリジニたちにとって、快いものでなかったといわれています。

観光客がどれだけ行儀よく登ろうと、やはりそこは聖地。ウルルに対する思いを外部の人間がすべて理解するのは、なかなか難しいのが現実です。そしてアボリジニたちの訴えにより、2019年10月26日に無期限での登頂禁止が決定したのです。

ちなみにこの10月26日は、エアーズロックを含む「ウルル=カタジュタ国立公園」がオーストラリア政府からアボリジニたちに返還された日で、2019年で34年目となります。

出典:TRiP EDiTOR

この記事を読んで、私の脳裏に30年前の思い出が蘇りました。

取材で初めて訪れたオーストラリアで、私はエアーズロックに登りました。もうあの巨大な一枚岩には登ることができないのです。

そこには、先住民アボリジニの人たちの信仰と心情が深く関わっています。外国人である私たちもその背景を少しでも理解した方がいいだろうと思い、30年前の思い出を書くことにしました。

建国200年祭

1988年1月、オーストラリアは建国200年を祝いました。

当時テレビ局の特派員だった私は、シドニーに飛んでこのイベントを取材しました。

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31年前に私が撮影したシドニー湾の写真です。

紙焼きで保存していたので、すっかり色褪せてしまい、30年の歳月の経過を感じさせます。

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その時取材した「オーストラリア建国200年祭実行委員会」の事務所です。

建国200年を取材した私には、その時一つの疑問がありました。

歴史書によれば、オーストラリア連邦が成立したのは1901年のことです。では、オーストラリアが国を挙げて祝福する「建国200年」とは、何から200年なのでしょうか?

オーストラリアの歴史を少し紐解いてみましょう。

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大英帝国によるオーストラリア大陸進出は1770年のジェームズ・クックに始まります。クックはシドニー南方のボタニー湾に上陸し、東海岸一帯の領有を宣言。「ニュー・サウス・ウェールズ」と命名します。

1776年にアメリカが独立したため、イギリスはこの新大陸を新たな流刑地として確保しようと、アーサー・フィリップをオーストラリアに派遣します。

ウィキペディアから、その時代の背景を引用しておきます。

18世紀後半に至ると、イギリスはこの地の開発を本格的に進めるようになる。その目的は、先住民の迫害を伴う資源獲得や囚人対策と言われている。

1780年代のイギリスは、エンクロージャーによる土地喪失者、産業革命による失業者などが都会に集まって犯罪者の数が激増した。微罪に問われた者でも収監する法制度もあいまって国内の監獄は満員となり、囚人を収容しようにも余裕がなくなる事態となった。加えて1776年のアメリカ独立は、巨大な流刑地の喪失を意味していた。流刑地の確保は、政府にとって重要課題だったのである。

当初は、比較的イギリスに近いカナダや西アフリカが候補地として挙がっていたが、カナダは寒冷地であるため、また西アフリカは疫病に罹患する恐れがあるため対象から外され、その結果ニュー・サウス・ウェールズが選ばれた。政府は、退役海軍将校アーサー・フィリップ (Arthur Phillip) を初代総督に任命し、植民地建設に当たらせた。

1787年5月13日、フィリップ率いる第1船団 (first fleet) 11隻は、1500名弱の人員(うち流刑囚約780名)を乗せてポーツマスを出航し、翌1788年1月18日にボタニー湾に到着した。その後、より入植に適した土地を求めて、北に12キロメートルのポート・ジャクソン湾内のシドニー・コーブを発見した。1月26日に上陸、この地のイギリスによる領有を宣言し、入植を開始した。これを記念して、1月26日は「オーストラリアの日(Australia Day) 」と呼ばれる祝日となっている。1790年6月に、第2船団6隻が、1791年7月から10月にかけて第3船団10隻が到着し、徐々に開発が進められた。この過程で、入植者がアボリジナルを襲撃したり、逆にアボリジナルが入植者を殺害するといった事件が発生した。

出典:ウィキペディア
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つまり、「建国200年」とは、イギリスが流刑地確保のためオーストラリアを植民地とした日から200年という意味だったのです。

先住民アボリジニの人たちにとっては、まさに屈辱の歴史の始まりの日でもあるという事実をまず理解しておく必要があります。

アリススプリングス

先住民の視点から建国200年を取材したいと思い、アボリジニの人たちが多く住むアリススプリングスという町に飛びました。

オーストラリア大陸のど真ん中にある町です。

現在の人口は2万6000人あまり。当時から小さな町でした。

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アリススプリングスは、「アウトバック」と呼ばれるオーストラリア内陸部の荒涼としたエリアを移動するための拠点として開発されました。

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町にはたくさんのアボリジニの人たちが暮らしています。

彼らの多くは、昼間から路上や木陰に座り込み、酒を飲んでいました。もともとアウトバックで暮らしていた彼らは、オーストラリア政府の保護政策のもと、町に移り住むようになったものの、仕事もなく退廃的な生活を送っているように見えました。

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アボリジニの人たちの昔の生活を見せる観光施設も取材しました。

アボリジニという呼び名には差別的な響きが強いとして最近のオーストラリアでは、「アボリジナル」とか「オーストラリア先住民」と呼ぶようになっていると言います。

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この観光施設では、アボリジニの伝統的な生活スタイルや音楽や踊りを見ることができました。

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様々なボディーペインティングも紹介されました。

アボリジニのアートは独特の図柄がとても魅力的で、その芸術的でぬくもりのあるデザインが施された土産物も観光客に人気でした。

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また、彼らが食料としていた昆虫の試食もこの観光施設の売り物でした。

焚き火で焼いただけのイモムシを木のお皿の並べ、みんなでつまみます。私も一つ食べましたが、焼き芋のようだとは言いつつも決して美味しいものではありません。

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アボリジニの先祖は、5万年以上前に南アジアからオーストラリア大陸に渡ってきたと考えられています。

しかし彼らの原始的な暮らしは、ヨーロッパ人の進出によって試練に晒されます。

イギリスが入植した時には、50万人から100万人ほどのアボリジニがオーストラリアに暮らしていましたが、1920年には約7万人にまで減少しました。最大の原因はヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病ですが、スポーツハンティングとしてアボリジニを虐殺したという悲しい歴史もありました。

オーストラリアでは長年「白豪主義」と呼ばれる人種差別政策が取られ、アボリジニの子供たちを親元から強制的に引き離して強制収容所に入れ、アボリジニ文化を根絶させようという非人道的な施策も行われました。

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こうした迫害の中で、不毛な内陸部のアボリジニたちはどうにか固有文化を維持し続けました。それがアリススプリングスにアボリジニが多い理由なのでしょう。

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アボリジニの市民権が初めて認められたのは1967年のことです。1993年には「先住権」も認められ、元々のアボリジニ居住エリアの所有権が認められました。

そして2008年、時のラッド首相が議会で公式に謝罪し、200年以上続いたアボリジニ差別は大きな転換点を迎えたのです。

今年10月に実施されるエアーズロックの登頂禁止もこうした流れの中で行われるものだということを、私たちも理解したいと思います。

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