<タイ>カンボジア内戦・・・初めて訪れた難民キャンプは巨大な町だった

🇹🇭タイ/アランヤプラテート 1986年5月 1泊2日

私がテレビ局のバンコク支局に勤務していた頃、カンボジアではまだ激しい内戦が続いていました。タイ・カンボジア国境には大量の難民が流出し、いくつもの難民キャンプができていました。

この難民キャンプで活動している日本人ボランディア秦辰也さんに案内してもらって初めて現地を取材した時の様子を記録しておきます。

取材の拠点となるのは、首都バンコクから東へ250km、タイ側の国境の町アランヤプラテートです。

カオイダンキャンプ

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まず最初に訪れたのが「カオイダンキャンプ」。

1979年に開設されたこのキャンプには、一時12〜14万人ものカンボジア難民が収容されていました。

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当時、カンボジア国内ではベトナムの支援を受けたヘン・サムリン政権とポル・ポト派などの三派連合が内戦を繰り広げていました。

私が訪れた86年になっても、キャンプ内の仮設の病院にはけが人や病人がたくさんいました。

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足を失った兵士たちもたくさんいます。

敵兵を殺すのではなく、足だけを吹き飛ばす威力の小さな対人地雷。多くの負傷兵を抱えることで、殺害する以上にダメージを敵に与えると考えられ、カンボジア国内には無数の地雷が設置されていました。

一方で、難民キャンプは反政府勢力の出撃拠点という側面も持っていて、国際社会の援助が反政府勢力兵士に流れているとの批判も出ていました。

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開設からすでに7年が経過したカオイダンキャンプには、立派な市場もあり周辺の村と比べても活気ある町になっています。

難民キャンプには難民キャンプならではの人々の暮らしがありました。

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写真左の男性が、私を案内してくれた秦さん。

秦さんは、JSRC=曹洞宗ボランティア会のバンコク事務所長として主に子供たちの教育支援をおこなっていました。彼はタイのスラムでも支援活動をしていて、キャンプ訪問の後、「スラムの天使」と呼ばれていたプラティープさんと結婚したのです。

彼が所属していたJSRCはその後、SVA=シャンティ国際ボランティア会と名称を変え、今でも活動を続けているようです。その活動は、アフガニスタンやミャンマーなど多くの国に広がっており、多くの子供たちに絵本を読む楽しみを届けています。

こうしたボランティアの方々の活動には、いつも頭が下がります。

サイト2

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翌日には、「サイト2」と呼ばれた別の難民キャンプを訪れました。

タイ・カンボジア国境最大の難民キャンプです。

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ここでは食糧配給の現場を目撃しました。

凄まじい数の人々が国連から配られる食糧に群がっていました。

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小さな子供たちも重い荷物を運びます。

ポル・ポト時代の大虐殺を生き延びたカンボジアの人たちは、この難民キャンプで多くの子供をもうけました。

キャンプ内の出生率は、世界最高レベル。驚異的な数字だと聞きました。

人間という生き物も、危機に陥ると子孫を残す動物の本能が最大限に発揮されるようです。

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サイト2の中にある学校も訪ねました。

竹で作った机がある教室もありましたが、床に座って勉強している子供たちもいます。

この子供たちは、どんな人生を送っているのでしょうか?

秦さんにも、久しぶりに会ってみたいものです。

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